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2010年07月17日

ゴッホの墓

もう、何年も前のことですが、パリから北西へ35キロ、イル・ド・フランスにあるオヴェール・シュル・オワーズという小さな町を訪ねました。

ゴッホの終焉の地オヴェールは、観光地としてよく整備されていて、教会、村役場、麦畑など、彼が描いた場所には、その絵を大きくプリントした案内板が立っています。

ゴッホが下宿していたラヴー亭は、現在はレストランを兼ねた博物館になっていて、ゴッホの部屋も公開されています。

ゴッホが描いた教会の、横手の道を登って行くと、町はずれの畑のなかに、墓地がありました。墓地を囲む石壁の、入口のそばに案内図があるので、ゴッホの墓はすぐにわかりました。

ゴッホ兄弟の墓


その墓を見たとき――
一瞬にして、胸にじーんと迫ってきた思い。
知らなかった、ヴィンセントとテオの兄弟が一緒に眠っていたなんて……。

ああ、よかった、今でもふたりが一緒にいるんだね。なんとも言えない、安堵のような、暖かい気持になったのを覚えています。

小さくてシンプルな石碑が二つ、2枚の畳をくっつけて並べたようなスペースに立っていて、そこに花はなく、緑のアイビーで埋まっています。

兄を支え続けたテオの美しい兄弟愛は、よく知られているけれど、やはり生身の人間です。当然ながら、二人の間には、苦しい葛藤もありました。

兄のヴィンセントは、弟に面倒をみてもらっている屈辱に加えて、いくら描いても絵は売れず、月々の仕送りを返済できない苛立ち。

絶望のあまり、「借りた金を返すか死んでしまうかだ」と、悲痛な叫び声をあげるのを、親友のエミール・ベルナールは聞いています。

一方、弟のテオは、妻子を養い、オランダにいる母親を援助し、さらに全面的に兄をサポートし、生活費や画材代を送り続ける……。

この大きな負担を背負ってきたテオは、ヴィンセントがピストル自殺を遂げたあと、急速に心身ともに疲弊して、わずか半年後に、後を追うように、33歳で亡くなってしまうのです。

テオの妻ヨハンナの配慮によって、1914年に、テオの遺骨はオランダのユトレヒトから移され、以来、兄弟はオヴェールで安らかに眠っています。


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2010年07月15日

墓マイラー

きのうのビアの話で思い出したんですが、そうそう、お墓といえば、先月だったかな、日本のニュースサイトで、「墓マイラー」なる言葉を発見しました。

これは、「著名人の墓巡りを趣味とする人たち」のことで、この趣味が静かなブームになっているのだそうで。

“レキジョ(歴史好き女子)”のブームや、ウォーキングの人気が高まっているせいもあって、最近、「墓マイラー」が急増しているそうです。

人気の霊園は、たとえば東京だと、雑司ケ谷霊園。夏目漱石、島村抱月、竹久夢二、泉鏡花、小泉八雲、東條英機、永井荷風、サトウハチロー、東郷青児、大川橋蔵など、著名人のお墓がいっぱいです。

いやあ、それにしても、ふっふっふ、時代来ましたねえ。
ま、日本はともかく、ヨーロッパの著名人のお墓のことなら、このわたくしにお任せください。墓マイラー歴は、かれこれ、十数年になります。

とはいえ、わたしの場合は、墓めぐりが趣味ってわけではないんで。著名人ゆかりの土地へ行ったら、ついでにお墓にも寄って行くべえ、という、「ついで墓マイラー」です。

わたしがこれまでにお参りしたお墓は、イギリスでは、ワーズワース、ブロンテ姉妹、トマス・エドワード・ロレンス(アラビアのロレンス)。

フランスでは、ゴッホ兄弟、モネ、ルノワール、ブラック、ジョルジュ・サンド、エディット・ピアフ、アポリネール、マルセル・プルースト、オスカー・ワイルド、シモーヌ・シニョーレとイブ・モンタン。

ドイツではバイエルンのルートヴィッヒ2世、イタリアではウィーダ(「フランダースの犬」の著者)、ディアギレフ、ストラビンスキー。

このうちで、わたしが一番感動した、心に残る、大好きなお墓、次回ご紹介しましょう。


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2010年05月13日

トルコ式トイレ

ここんとこ、トイレのお話で、すっかり盛り上がってしまいました。
以前に、読者さんから、「英語のメルマガで下ネタはやめろ」という、お叱りメールをいただいたんですが……アキマヘン、やっぱり、やっちゃった。

でもネ、読者さんからいただくメールが、トイレ関連でグッと増えたんですよ。これは、「下ネタ、オッケイ!苦しゅうない、近う寄れ」とおっしゃってくださる方が多いのだと、勝手に解釈して、ついでにもう一丁、トイレの話、いってみまひょか。

ある読者さんから、「27年前に新婚旅行でフランスに行った時、トルコ式トイレで洪水にあいました」というメッセージが寄せられました。

それを読んで、おお〜、オラっちもそのような椿事に遭遇したよな〜と、思わず遠い目になってしまいました。

忘れもしません、南仏はカマルグ。あの湿地帯に、フラミンゴを見に行ったときのことです。公衆トイレのドアを開けたら、ゲッ、トルコ式。

トルコ式水洗トイレは、足を乗せる台が付いた四角い浅い便器が、床に埋め込まれています。そして、水のタンクは壁の高い位置に設置され、そこからぶら下がった鎖を引っ張って、フラッシュします。

用を足して、鎖を引っ張ると、きゃあああああ!!!
勢いよく落ちてきた水が、便器からほとばしり出て、そこら中、水びたし。もちろん、靴の中もびっしょびしょ。(「大」じゃなかったのが、不幸中の幸いでした)

この経験から学習したわたしは、「トルコ式水洗トイレ攻略法・白鳥の湖編」なるものをあみ出し、その後、フランスやイタリアの田舎でトルコ式に出会うたびに、落ち着いて対処できるようになりました。

その攻略法、知りたいですか? ご希望の方は情報商材として、
1000円でお分けしますぞ。なんちゃって。

その方法とは、まず、用を足したら、鎖を引く前に、一旦ドアの前に避難します。そのときにドアのロックをはずします。(すぐ逃げられるように)

ドアに背中をへばりつけた状態で、つま先立ちして、ぎゅ〜んと手を伸ばして、鎖をつかみます。このとき、どうしても片足が上がってしまうので、バレリーナのような優雅な姿勢になります。ゆえに、「白鳥の湖」です。

あ、ダメダメ、まだ鎖を引っ張ってはダメ。片手で鎖をつかみ、もう一方の手で、ドアの取っ手をつかみます。(すぐ逃げられるように)

この体勢で、鎖をグイッ!
フラッシュの音と同時に、ドアを開けて外に脱出!

これで、洪水の波に飲まれて溺れることもありません。
ちなみに、この「白鳥の湖編」は、狭いトイレ用です。広いトイレの場合は、状況に応じて、アレンジしてくださいませ。


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2010年04月21日

空港閉鎖

アイスランドの火山の噴火で、ヨーロッパでは、空港が閉鎖されていましたが、ゆうべ、やっと6日ぶりに海外からの飛行機が、イギリスに到着しました。

わたしは、本当にラッキーなことに、先週、イギリスの空港が閉鎖される前日に、日本から帰ってきました。

でも、これは、最初に計画した日程での航空チケットが手に入らなかったので、仕方なく日程を変更して、日本からの出発を2日早めたのです。

そのときは、思い通りにいかなくてガッカリだったのですが、でも、変更しなかったら、わたしのフライトは欠航になっていました。本当に、何が幸いするか、わかりません。

欠航が続いて留め置かれた乗客には、さまざまな問題が起きていました。その一つが、経済的な問題です。

どうしてもすぐに帰国しなければならない場合は、鉄道など、他の交通手段を頼ることになりますが、かなりの運賃がかかります。イタリアから、バスやタクシーを乗り継いで、北フランスのカレーの港までたどり着いた人もいました。

一方、フライトの再開を待つにしろ、留め置きが長引くにつれて、ホテル代や食費がかさんできますが、今回の欠航は天災によるものなので、保険がおりないケースも多いのです。

この機を利用して、宿泊料金を一気に値上げするホテルもあちこちで出ています。さらに、空港に預けてある車の駐車料金、預けてあるペット用ホテルの料金も、増えていきます。

持病があって、常用している薬が切れてしまう人、すぐに仕事に戻らないと解雇されると不安を募らせる人、試験があるのに受けられない大学生。ミルクやおしめの確保に奔走する、赤ちゃん連れのお母さん、etc, etc.

英国政府は19日、欧州で留め置かれている約15万人の英国民のために、3隻の軍艦を派遣することを決定しました。

このうちの一隻が、きのう、スペイン北部のサンタンデール港に到着し、アフガニスタンからの帰還兵500人と旅行者310人を乗せて、今頃は大西洋上を、イギリス南部のポーツマス港に向かって航行中です。


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2010年01月21日

トルコの家

19日に、寛平さんのアースマラソンのサイトで動画を見ていたら、トルコの伝統的な民家に案内された場面が、ありました。

あっ、あの民家の造り、いっしょだ!
そう、わたしが去年、ボスニア・ヘルツェゴビナにあるモスタルという町に行ったとき、古いトルコの家を見学したのですが、その家の内部と、構造がほとんどいっしょ。

モスタルは、15世紀、オスマントルコ領の時代に造られた町です。ボスニアの内戦で町が破壊されたにもかかわらず、この17世紀の二階建木造家屋が戦火を免れたのは、奇跡といって良いかもしれません。

その家が、オスマントルコ時代のままに保存され、一般公開されています。
17世紀のトルコの民家.jpg

ここは、客間兼リビングルームってとこかな? 窓のカーテンは閉めたままで、開けることはないようです。暑い国なので、日よけの役目をしているのでしょう。

すべての部屋に絨毯が敷かれ、部屋の壁に沿って、ソファーがL字形、またはコの字形に造られています。その高さが、床から30cmくらいなので、ヨーロッパのソファーにくらべるとずいぶん低いです。

写真では見えにくいけど、ソファーの前にある、びっしりとアラベスク模様が彫られた木彫りのテーブルのところに置かれているのが、水パイプです。

寝室も、インテリアはリビングルームとほとんど変わりませんが、驚いたのは、日本のように、お布団が絨毯の上にじかに敷いてあったこと! 昔のトルコでは、ベッドじゃなかったんですねえ。

そして、寝室の中に、シャワー室も! とはいえ、17世紀ですから、今のようなシャワーではありません。小さな押入れのような、木製のドアを開けると、桶に汲んだ水で体を洗う場所がありました。

民家建築に興味のあるわたしとしては、ぜひとも外にあるトイレが見たかったのに、団体ツアーの悲しさ、時間に追われて、見ることができませんでした。

それでも、わたしがこの家を出たのはグループの最後で、「待ってぇ〜」とあわてて追っかけたら、スッテーンと転んでしまった。ひぇ〜ん!


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2009年12月28日

リバプール

いよいよあと数日で、今年も暮れようとしています。
今年はあなたにとって、どんな年でしたか?

わたしにとって、今年最高の感動イベントは、12月始めの小旅行です。うちの父ちゃんは、旅をするとき、必ず、わたしに何かサプライズを用意してくれるのです。

このときは、泊まる場所がサプライズで、「着いてのお楽しみ」ということで、どこに泊まるのか、まったく知らされていませんでした。

まだ夕方というのに、すでに真っ暗になって到着し、車を停めて、「ここだよ。リバプールのドックのホテルを予約したんだ」と言われたとき、わたしの目から、ぶわ〜っと涙が……。

というのも、つい数週間前、イギリスの作家ヘレン・フォレスターの自叙伝3巻を読んで号泣したばかりで、その感動がまだ色濃く残っていたからです。

あの、ヘレン・フォレスターが、毎日のように、幼い妹弟を連れてやって来たドック。ああ、ヘレンがいつも来たんだ、ここに。この場所に。

1930年代の大恐慌の時代。ヘレンが12歳のとき、父親が破産し、一家はリバプールに逃れて、極貧の中で、子供7人をかかえる大家族の暮らしが始まります。

長女であるヘレンは、6人のきょうだいの面倒を見るために、学校にも行かせてもらえません。

寒風吹きすさぶ中、近所のおばちゃんにもらったオンボロ乳母車に、末の弟を乗せて、4歳の妹の手をひいて、ヘレンはよく、ドックのあるピア・ヘッドに来たのです。

寒くて汚い、悪臭のする家にいるよりは、外に出たほうが、まだまし。一家には、石炭を買うお金がないので、暖房がない。掃除道具が買えないので、汚れっぽなし。石鹸が買えないので、体も洗えない。食べるものがなくて、栄養失調。

リバプールのスラム街での想像を絶する貧しさと苦悩を、赤裸々に、淡々と描き、そこに一片の自己憐憫もないことが大きく評価され、この本はベストセラーとなりました。

ドックは、今は建物自体は保存されていますが、博物館やホテルなどに利用されています。ヘレンの自叙伝に出てくる通りや建物も、今でも残っています。

リバプールはビートルズで有名な街ですが、今回はそっちは断念して、ヘレン・フォレスターの"Twopence to cross the Marsey(マージー川を渡る2ペンス)"を辿る旅となりました。

マージー川の向こうに祖母がいる。ヘレンが祖母に助けを求めて、あんなに渡りたかった川も、フェリーの料金2ペンスが払えないばっかりに、とうとう、越えることができなかった。

そのフェリーに乗って、マージー川も渡ってみました。冬というのにコートもなく、冷たい風の中で埠頭に立ち、自分が乗れないフェリーを見送るヘレンの姿が、脳裏から離れませんでした。
今年最高のサプライズを、そして感動を、父ちゃん、ありがとう!


さてさて、今回でもって、今年の最終回とさせていただきます。
この一年、おつきあいくださって、本当にありがとうございました。
来年もまた、よろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年をお迎えください。


【ご案内】

ヘレン・フォレスターの自叙伝"Twopence to cross the Marsey"を英語で読んでみようと思われる方は、こちらから詳細をご覧ください。
↓ ↓ ↓   
http://oe-taeko.lis-net.co.jp/reading-03.html


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2009年12月19日

ホテルのサービス

前回、ホテルのタオルの話をしたんですが、ホテルが高級になればなるほど、タオルの数が増えるような気がします。

わたしが高級ホテルに泊まることは、めったにないのですが、いつぞや何の手違いか、ハイソなホテルにお泊りしたら、そのホテルのマークが織り込まれた純白のタオルが一人につき4枚も!

フェイスタオル、バスタオル、そして、バスタオルよりももう一回りデカいサイズのタオル。さらに、ミトンのような袋は、あかすりタオル?

高級ホテルはたしかに豪華だけれど、ホテルの豪華さとサービスとが比例するかというと、おっとどっこい、という例をひとつ。

ドゥブロヴニクに1週間滞在したとき、市の観光案内所が主催するボスニアへの日帰りツアーに参加したのです。

これは観光バス1台で、ドゥブロヴニクの主なホテルを回って、参加者を拾って行きます。出発時間が朝7時なので、わたしたちのアルゴシィ(3つ星ホテル)では、6時に食堂を開けてくれます。

ところが、お隣のプレジデント(4つ星ホテル)のお客は、全員が紙の箱を持ってバスに乗り込んできました。

箱の中身は、パン、チーズ、ジュースなどで、それが彼らの朝食です。食堂はまだ開いてないので、バスの中で食べるよう、ホテルが用意したものです。

わたしたちは、3つ星ホテルの食堂で、たっぷりとバイキングの朝食を摂ってきたけど、4つ星ホテルのお客は、バスの中でもそもそと……。

規模の小さいホテルのほうが、融通がきいて、家庭的なサービスができるんだよ。

なーんて言うかもしれないけど、いえいえ、アルゴシィだって規模的には大きなホテルです。結局あれですかねえ、マネジャーの手腕ていうか、経営方針?


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2009年11月26日

湖水地方

日本は先週末、3連休でしたね。
紅葉狩りの季節、紅葉を楽しまれた方も多かったのでは?

こちらイギリスは雨で、先週、湖水地方が記録的な豪雨に見舞われ、川が増水して6つの橋が崩落し、約1300世帯が浸水するなど、大変な被害が出ています。

わたしも、日本で水害にあった経験があるので、被災者の心情はよーくわかります。心よりお見舞い申し上げます。

幸い、わが家の地域には大きな川がないので、水害の心配はありませんが、ラジオから盛んに、「コカマス」という地名が聞こえてきました。

コカマスは、あの桂冠換詩人ワーズワースの生誕の地です。生家はナショナルトラストの所有で、一般公開されているので、わたしも訪れたことがあります。

湖水地方は、日本のガイドブックの表現を借りると、「富士五湖と蓼科と軽井沢、そして裏磐梯の五色沼をひとまとめにしたようなところ」で、本当に風光明媚です。

わたしたちがここを訪れたとき、湖畔にある古いお屋敷を借りて滞在しました。その大きなお屋敷が、観光客用のアパートになっているのです。

敷地内の森を抜けて湖に出ると、お屋敷専属のボートがありました。それを借りて、初夏の日の夕方、鏡のように静かな湖水にこぎ出しました。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮かべて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

思わず、わたしは中原中也の詩を口ずさんでいました。
そして、ふと岸辺を見ると……!

目の前に、あの光景があったのです。ほら、あの、東山魁夷の絵。湖畔に森があって、白馬が一頭。それが湖に映っている……。まさに、あの絵のまんまちゃん!

うん、ま、実際には白馬じゃなくて、茶色の馬2頭だったけど。でも、本当に、あんな風景が実在するのをこの目で見て、ううー、感激!

ね? すっごいロマンチックでしょう?
ハネムーンには最高だと思いますよ、湖水地方は。

え? うち? うちはダメです。父ちゃん、お笑い系だから。ロマンチックなシチュエーションになると、絶対、ギャグやってぶち壊し。

世の中には、うちのおっさんのように、ロマンチックに耐えられないイギリス男もいるのでございます、ハァ〜(タメイキ)。


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2009年10月30日

ボスニア・ヘルツェゴビナ(2)

モスタルの橋ボスニア南部のモスタルは、15世紀、オスマントルコの支配下で建造された町で、橋のある旧市街がユネスコの世界遺産に登録されています。

ボスニアという名前から思い出すのは、やっぱり、内戦のこと。第一次世界大戦後にユーゴスラビア王国領となったボスニア・ヘルツェゴビナが、1992年に独立を宣言すると、モスタルはユーゴスラビア連邦軍の攻撃を受けました。

銃撃を受けた建物このときの、すさまじい市街戦の様子が、今でも生々しく残っています。右の写真は、爆撃を受けて廃墟となった建物です。

壁のまだら模様、これ全部、銃弾の跡なんです。まさに「蜂の巣」とはこのこと! この跡を見ると、銃撃戦の恐怖が想像されて、ビビります。

旧市街の木造家屋橋の周辺の旧市街では、昔ながらの石畳の狭い通りに、土産物屋が並んでいます。その通りには木造家屋も残っていて、右の写真は、喫茶店です。地元のおっちゃんが、通りに面した縁側(?)のような床の上で、何やら熱心に読んでました。

えー、ヴァナキュラー・アーキテクチャー、略してヴァナアキ・おたくのわたくしといたしましては、これは、この地方の店舗建築だと思うんですよ。

おっちゃんの頭上にある、屋根のひさしのように見えるもの、これはひさしではありません。屋根はもっと高い位置にあるのです。となると、これは、折りたたみ式の板戸?

よく見ると、この喫茶店の隣の土産物屋も、屋根のひさしの下に、板戸があります。その隣の店も、そう。

あちこち観察して、な〜るほど、こういうことではなかろうか。つまり、これは店舗用のシャッター兼折りたたみ式屋台なんだ。

おっちゃんが座っている木の床も、じつは板戸で、敷居に蝶番で固定されている(たぶん)。そして、上の板戸も蝶番で鴨居に固定されている(たぶん)。

上と下の二つの板戸は、店を開けているときは、水平方向に観音開きに開いておく。土産物屋では、下の板戸の上に商品を並べて売ってました。

で、店を閉めるときは、上の板戸は下に下ろし、下の板戸は上に上げて、二つをかんぬきか何かで止めて、これが店のシャッターになる。

ま、これはヴァナアキ・おたくの勝手な推測ですが、当たらずといえども遠からず、のはず。だって、フランス中部の古い町で、これをもっと小規模にした店舗を見たことがあるから。

このからくりを検証したくて、うずうずしたけど、ああ、団体旅行の悲しさよ、時間がなくてできませんでした。

再びモスタルに行くことはないだろうけど、もしも、奇跡的にチャンスに恵まれたら、何は置いても、この店に飛んで行って調べなきゃ!

でないと、な〜んか、ジグソーパズルの最後の一片が、パチッとはまってない、って、そんな気分だよなあ……。


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2009年10月29日

ボスニア・ヘルツェゴビナ(1)

これまで、クロアチアの地図をまともに見たことがないので、知らなかったけど、ドゥブロヴニクって、飛び地なんですねえ。

ダルマチアの海岸線は、ほとんどクロアチアなんですが、ボスニア・ヘルツェゴビナの領土が回廊状態で海岸まで延びて、クロアチアを、ブチッと分断しているのです。

だから、ボスニアのモスタルに向かうわたしたちのバスは、海岸線を通ってボスニアに入国し、そこを抜けてまたクロアチアに入って、それから内陸部に向かって走り、再びボスニアに入国する、というややこしいルートでした。

でも、国境では、団体旅行のせいか、ガイドさんが書類を提出しただけでOK、パスポートを調べられることはありませんでした。チェッ、わたしゃ、パスポートにボスニア・ヘルツェゴビナのスタンプを押してほしかったんだけどな。

ボスニアに入ってまもなく、ポチテリャという村に寄りました。ここは、オスマン帝国時代に、トルコ人が来て住み着いた集落で、今でも当時のトルコ式建築がよく残されています。

そう、あたしゃ、こういう所が見たかったのよ〜! 何を隠そう(うん、別に隠してないけど)、わたしの旅の一番の楽しみは、ヴァナキュラー・アーキテクチャー(vernacular architecture)を見ることなんです。

ヴァナキュラー・アーキテクチャーというのは、「その土地特有の建築」です。主に民家に見られる建築様式なんですが、これがめっちゃ面白い。石造りなら、その地方で産出する石を使うし、森林のある地方なら、木骨建築。その木骨も、地方によって木の組み方が違う。

と、まあ、そんな感じで、ヴァナキュラー・アーキテクチャー・おたくとしては、どんなんかな〜とわくわくして、岩山にへばりつくようにして家々が建つポチテリャの村に入りました。

村には広い通りはなくて、狭い路地ばかりなんですが、それが石を敷き固めたものなので、歩きにくいのなんのって。

ポチテリャの村右の写真の中央に見える尖塔が、イスラム寺院のミナレットです。その右隣の家の窓には、ビザンチンの面影が残っています。建物はすべて石造り。で、その屋根なんですが……。

いやあ、こんな石板の瓦って、はじめて見た!
いや、石の瓦はフランスやスペインで見たことあるけど、こんなに大きなのは、はじめて。

石板で葺いた屋根四角形の石板、一辺が、見えている部分だけで、30〜40センチかな。厚さは5センチぐらい。それがうろこ状に並んでいる。

屋根全体をこんなに厚い石板で葺くとなると、相当重くなる。屋根下の垂木は木材だから、それにかかる重量って相当なものだろうけど……大丈夫? と、まったくよけいな心配をしたくなるほど、重そうな屋根なのです。

この、ポチテリャ村を後にして、モスタルに着いて、旧市街に行くと、ありました! 家々の屋根は、やっぱりおなじ厚い石板で葺いてある。

ということで、これは、ボスニアのこの地方のヴァナキュラー・アーキテクチャーと断定して、よさそうです。


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2009年10月21日

ドゥブロヴニク(5)

ドゥブロヴニクでは、ホントは、旧市街の中にアパートを借りて、滞在する予定でした。ところが、日程の関係などでうまく空き部屋が見つからないので、仕方なく、旧市街からバスで15分くらい北西に行った、岬にあるホテルを予約しました。

わたしは、めんどくさいことはすべて父ちゃんに任せっぱなしなので、どんなホテルなのか、サイトを覗くこともしませんでした。

ところがこれが、なんと、大正解!ナ〜イス・チョイス! 
やるじゃん、父ちゃん。アンタ、ワイフのチョイスもいいけど(?)、ホテルのチョイスも冴えてるぞ〜。ええぞ、ええぞ〜。

そのホテルはアルゴシィ (Argosy Hotel) といって、アドリア海に突き出た静かな岬の、オリーブの森の中にあったのです。ドゥブロヴニクには、星が4つ、5つの高級リゾートホテルがたくさんあるのですが、そんな所に滞在する予算もないので、分相応な3つ星ホテルにしました。

部屋からのながめでも、このホテル、部屋もバスルームもたっぷりのスペースで、天井も高いし、大満足。バルコニーからは、入り江と、そこに浮かぶ島が見えます。そして、この島の左手には、アドリア海が開けています。

バイキング式の朝食は種類も豊富なので、それだけで十分なのに、カウンターの中にコックさんが二人いて、一人がベーコンやソーセージ担当、もう一人は卵料理。目の前でジュージューとベーコンが焼けるのを見ると、つい手が出てしまって、朝から、もりもりお肉を食べてしまった…。

プレジデントのプライベートビーチさらにゴキゲンなことに、このアルゴシィは、隣にある4つ星ホテル・プレジデントと同系列なので、アルゴシィの客はプレジデントのプライベートビーチが無料で使えるのです。(右上の写真がそのプライベートビーチです)

オリーブの木立の向こうにあるプレジデントに行くと、さすがは4つ星、アルゴシィとは格がちゃいます、格が。このホテルの入り口は断崖の上にあるのですが、下のビーチに降りるのに、なんとフェニキュラで!

うひょ〜、ホテルの中にフェニキュラがあるよ!と、田舎者丸出しの父ちゃんとわたしは大はしゃぎ。

3つ星ホテルに泊まって、4つ星ホテルの高級感が楽しめたのは、むふふ、一粒で二度おいしいアーモンドグリコ的快挙でありました。



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2009年10月16日

ドゥブロヴニク(4)

わたしにとって、ちょっと残念だったのは、ドゥブロヴニクって、ほとんどイタリアでした。クロアチアを見るには、もっと内陸部に行かないとダメなのかも。

だって、建物は、石造りに土管を縦に割ったようなローマ式の瓦、窓には深緑色の鎧戸。判で押したように皆いっしょ。

そして食べ物は、港町だけに、シーフード中心で、魚のスープ、イカや小魚の揚げ物、焼き物、リゾット、パスタなど、イタリアの地中海沿岸地方と、メニューはほとんどいっしょ。ピザ屋も沢山あるし。

もっとも、都市国家だった時代に、このダルマチア地方は、ヴェネチア共和国の支配を受けているので、ヴェネチアン・ゴシックの建物なんかも残っていて、その影響も大きいのでしょう。

海の幸が豊富な地中海でも、やっぱり、生で食べるのはカキぐらいのもので、生の魚はなかなか食べられない。

わたしはさんまの焼いたのや、うなぎの蒲焼も大好きだけど、何を隠そう、刺身が世界で一番おいしい魚の食べ方だと信じて疑わない人ですから、もう、普段イギリスで食べられない生魚が、食べたくて食べたくて、しょうがないわけです。

それで、旅行間際にネットで検索したら、ありました! 「魚のカルパッチョ」という料理が! カルパッチョは、生の牛ヒレ肉にオリーブオイルやソースをかけた料理ですが、その魚ヴァージョンですな。

おっーし! これを食べるぞ! と意気込んで、食い意地女はスーツケースに醤油をしのばせて、旅立ったのであります。

わたしたちの滞在したホテルから、歩いて30分のところに、Lapadの入り江があります。そこに散歩に行ったら、海岸にシーフードのレストランがあったので、メニューをのぞくと、おっ! あるじゃないの、カルパッチョが!

「アンコウのカルパッチョ」が載っていて、それが「季節限定」でも「時価」でもないことを確認。よーしよし、今夜のディナーはこれに決定!
Lapadの入り江

そして、夕方になって、また散歩がてらその入り江に行きました。上の写真がそのレストランです。入り江の対岸の灯は、立ち並ぶリゾートホテルです。

海のすぐそばにテーブルが並んでるけど、ここ、レストランの前の遊歩道なんで、食べてると、通行人がゾロゾロ通ったりします。ま、いいけどね。

アンコウのカルパッチョさて、注文したアンコウのカルパッチョが運ばれてきて、えーっ、ちょ、ちょっと待ってえ。カルパッチョって、こ、こんなん?!

わたしが想像していたお刺身とは、ちょっと違う……。切り身の厚さが1ミリぐらいしかない薄っぺら。それを広げて、皿いっぱいに並べてある。青ノリのようにふりかけてあるのは、ハーブのディル。

まず、マリネの味をみようと思って、醤油はかけずに、それだけで食べて見ました。

……。何の味もついてない。
ソースがついてないということは、マリネしてあるってことだろうけど、味がない。つまり、これは添えてあるレモンだけで食べろってことなのね?

そこで、おもむろに醤油を取り出す食い意地女。日本に帰ったときに、こんなこともあろうかと、100円ショップで買ったお魚さんの醤油入れ、むふふ、役立つときが来ましたぞ。

ほんの少しお醤油をかけて食べてみると、アッチャー、醤油ではキツイのだ。そっか、お刺身って、ある程度厚みがあるもんな。こんな紙のように薄い切り身では、醤油が勝ってしまう。

ったく、あんたネ、ふぐ刺しじゃあるまいし、アンコウをそんな薄作りにしてどうするよ。ていうか、アンコウは鍋に入れるとおいしいんだよね。

はっきり言って、この店のカルパッチョは不味かった。ちゃんとマリネしろよ。これを食べるなら、醤油じゃなくて、ポン酢かなあ。

あーあ、ガッカリ。わざわざ醤油を空輸したのに、どうしてくれる!
キィーッ! 金返せー! プンスカー!
(全部食べたけどね、うん)


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2009年10月15日

ドゥブロヴニク(3)

いやあ、それにしてもドゥブロヴニクは、ホントに観光だけで保っている町なんだなあ。

なぜって、レストランと貸し部屋の、まあ多いこと、多いこと!あなたが宿の予約なしに、いきなりドゥブロヴニクに到着しても、まず困ることはないです。

空港とかバス停とかに、民宿の客引きのおばさんたちが待機していて、「Sobe(部屋)ありますよ〜」と、声をかけてくるのです、英語で。

そして、レストランは、大きい通りはもちろんのこと、小さな路地でもテーブルがズラズラ〜ッと並んで、観光客は、テーブルとテーブルの間をお尻でこすりながら(?)歩きます。

だから、レストランでの食事など、観光地値段だそうですが、本当の物価はどうなんだろうかと、朝市の開かれている広場に行ってみました。

朝市赤と白のパラソルの下に、商品を置いた屋台がずらりと並んでました。売られているのは、野菜、果物、土産物、あとはラヴェンダーとかアロマオイルとか。

この町の土産物としては、乾燥いちじくとか、オレンジの皮を干して砂糖をまぶしたもの、などがあります。試食してみたけど、うーん……。

乾燥いちじくって、イギリスのスーパーでも売ってるからねえ、珍しくもなんともない。もっとも、カナリア諸島の、白い粉の吹いたミニサイズ(ラッキョみたいな大きさ)の乾燥いちじくは、うまかったぞ。

それよりも、果物屋さんに、おいしそうなぶどうと、メチャクチャでかいザクロがありました。このあたりはザクロの産地みたいで、あちこちに木があって、日本の夏みかんぐらいの大きさの赤いザクロが、どかん、どかんとなっているのです。

ぶどうも試食させてくれるので、試してみたら、甘くておいしい! で、マスカットのような大粒の黒いぶどうを1kgほどお願いすると、おばちゃんは大きな房を2つ取って、秤の上に乗せました。

果物屋さんのハカリ見てください、この、なんともレトロな秤! 右側のバケツみたいな容器にぶどうを入れて、左の皿の乗っているのが1kgのオモリ。

で、1kgのお値段が、10クーナ! なんと180円! 
ひゃ〜、どんだけ安いんや〜!



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2009年10月14日

ドゥブロヴニク(2)

クロアチアという国は、カタカナの「フ」の字を反転したような、奇妙な形をしています。上のまっすぐな部分が、内陸部、下の曲線の部分が、アドリア海に面した海岸地方。

で、ドゥブロヴニクは、海岸部の一番下というか、先っぽにある町で、もうちょっと南下するとモンテネグロとの国境になります。

9月末というのに、気温は30度くらいあって、でも、やっぱり空気が乾燥しているせいか、そんなに暑さは感じませんでした。

それでも、炎天下に町を歩くと、汗だくになるので、よくアイスクリームを買って、港のベンチで食べたっけ。

なぜ港に行くかというと、港の水が、それはそれはきれいで、魚がいっぱい見えるんです。ここからは、島巡りの船がたくさん出ているのに、ゴミや油なんか浮いてません。
ドゥブロヴニクのハーバー

上の写真が、市壁の上から撮った港です。右手に見えるのが市壁で、それがずっと港にもつながっています。

手前の白い四角いのは、パラソルです。市壁の下にシーフード・レストランがあって、そのテーブルの日よけのパラソル。パラソルって、普通は丸いもんだけど、うん、四角いパラソルの方が、並べるには都合がいいもんね。

港を散策していたら、水の中から、キラリと銀色に光るものが! おっ、なんだろうとのぞいてみると、魚でした。群れをなして泳いでいる魚が、ふと体をくねらせて、銀色の横腹を見せると、それに陽の光が反射して、光るのです。

もう、水族館みたいに、楽しくて。まあ、ここで見る魚はカラフルな熱帯魚とかじゃなくて、何種類かの地味〜ィな魚ですが、それでも見ていて飽きないのです。

ハーバーの魚そのうちのひとつが、この魚。体長は10cmくらいで小さいけど、何、その尻尾? グー・チョキ・パーのチョキやん。


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2009年10月09日

ドゥブロヴニク(1)

たっだいま〜!
ドゥブロヴニク1週間の旅から、帰ってきました。

世界遺産に登録されているのは、ドゥブロヴニクの旧市街で、周囲2km足らずの狭い地域なんですが、ドゥブロヴニクといえば、まずこの写真、定番中の定番ショットです。
ドゥブロヴニクの旧市街

絵葉書や観光ガイドに必ず使われているこの写真、最初は、空撮かな?と思ったのですが、ありました、郊外の山の中腹に展望台が。上の写真は、そこに登って撮ったものです。手前に見えるのが、ぐるりと街を取りかこむ市壁です。

市壁からのながめその市壁の上は、歩けるようになっていて、右の写真が市壁から見た町並みです。沖に浮かぶ島はロクロム島で、ここには野生の孔雀がいるそうです(行かなかったけど)。

ドゥブロヴニクは過去二回、破壊されています。一回目は1667年の大地震で。そして二回目は、1991年の内戦で。

この内戦で、クロアチアはユーゴスラビアから独立したのですが、この時のユーゴスラビア連邦軍の攻撃によって、町は壊滅的な被害を受けました。そのために、ユネスコの危機遺産リストに載せられました。

屋根瓦がオレンジ色でとても鮮やかですが、これは瓦が新しいから。長い年月を経て風化されると、この瓦の色は黄色がかった淡いピンクに変わります。

この街で、淡い色の瓦が残っている建物は、ほんのわずか、数えるほどしかありません。内戦でどれだけ激しい爆撃を受けたか、うかがい知ることができます。

内戦が終わって平和がもどると、街の再建が始まりました。古文書をもとに、同じ様式で、同じ建材で、すべてを元通りに修復、復元され、ドゥブロヴニクは再びその美しさを取り戻し、1998年、危機遺産から脱することができたのです。


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2009年09月25日

ドゥブロヴニクへ

日本のシルバーウィーク、いかがお過ごしでしたか?
京都の友達から、「わが家では、特に何もなくていつもと変わらず」というメールが届きました。

でも、小林正観さん風に言えば、それは「平和で無事だった」ということですから、えかった、えかった。

さてさて、うちでは、これからシルバーウィークでして、え〜と、きょうの午後から、ちょっくらドゥブロブニクに行ってきます。(あたふた、あたふた)

なので、まことに勝手ではありますが、来週はメルマガをお休みさせていただきます。

ドゥブロブニクって何それ、そんなもん食べたことない。
って言うぐらい、わたしゃ、まったく知らなかったんですけど、クロアチアという国らしいです。

そのアドリア海岸にある古都で、世界遺産に登録されているそうで。父ちゃんが前から、行きたい行きたいといっていて、勝手に決めて勝手に手配したので、くっついて行ってきます。

なんでも、宮崎アニメの「紅の豚」の町並みのモデルのひとつになったとか、「魔女の宅急便」のモデルとなったとか、そういう町らしいです。

クロアチア、日本からだと遠い国ですが、ロンドンからは3時間弱のフライトなので、スペインに行くのと、そう変わらないです。

ちなみに、わたしたちの旅は、夫婦二人でスーツケース1個! それも、普通のスーツケースより小さめサイズ! 旅慣れるにつれて、うひょ〜!ここまでコンパクトに〜。

ただねえ、旅行着は、洗濯して乾きやすいものとかになるので、いつもおなじ服。どの旅行でも同じものを着ているので、人に写真を見せるときは、ちょっと恥ずかしいです。とほほ。

それでは、行ってきま〜す!
「アドリア海の真珠」といわれる美しい町のお土産話、楽しみにしていてくださいね。


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2009年03月05日

エジプト、コムオンボ神殿

きのう、ダブテイルの話から、ストーンヘンジの横石が、楔形に切って組み合わされ、ズレないように接続されていた話をしましたが、

そういえば、古代石造建築のダブテイル形の接続技術を、わたしはエジプトで見たことがあるのです。

コムオンボ神殿それは、ナイル川流域の、アスワンのちょっと北にある、コムオンボ神殿でした。

時代は、紀元前300〜30年ごろのもので、ワニの神であるセベク神と、ハヤブサの神であるホルス神に捧げられた神殿なので、入口や通路も二つあるという、二重構造の神殿です。

その通路を歩いていると、神殿の外壁が破壊されていて、その石組みが露出している部分がありました。

神殿の外壁右の写真がそれなんですが、これが、面白い! だって、これを見ると、当時の石造り建築の技法がまるわかり!

写真の矢印のところを見てください。ダブテイル形のほぞ穴が切ってあるんです。それを拡大したのが、下の写真です。 で、上の写真を見ると、ほら、同じようなほぞ穴が、左右の両端に並んでいるでしょう?ほぞ穴

外壁は、四角に切った石を、4列に並べて造られています。壁の厚さは3mくらいだったかな? 見えにくいけど、写真の右上に女性の姿が写っているので、その人物と比較して、およその石の大きさが解ると思います。

で、壁面の表面になる両端の列の石の下には、ほぞが切ってあって、下の石と組み合わせて固定してある。外見からは、まったく見えないけれど、ちゃんと、こういう工夫がしてあるんですねえ。


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2009年03月04日

ストーンヘンジ

先週のレッスンで、ダブテイル(dovetail 蟻継ぎ)という言葉が出てきました。これは、すぐにイメージが湧かなかった方が多いと思います。

木材を、釘を使わずに接続する技術なんですが、実物を見れば、ああ、あれかあ! って、一発なんですけどねえ。

で、こういう技術って、いつ頃からあったんだろう、って考えると、たぶん、世界最古の木造建築である法隆寺建立が7世紀だから、そのくらい?

いやいや、もっと、もっと古いんです。
これに似た技術が、あのストーンヘンジの巨石で使われています。

巨石の柱の上に、石を横に寝かせて、環形につながっている、その横石が、楔形に切って組み合わされ、ズレないように接続されていた。

これが、紀元前2500〜2000年ごろというから、まあ、気の遠くなるような古(いにしえ)のお話。

ただ、実際にストーンヘンジに行っても、その接続部分を見ることはできません。だって、残っている横石はわずかで、しかも地上何メートルかの高い位置にあるので。

ストーンヘンジといえば、そうそう、ちょっと自慢してもいいかな?
あれは、ずいぶん前のことだけど、特別許可をもらって、ストーンヘンジの巨石群の中に入ったんです。

普通、観光客は、まわりを囲っている金網のフェンス越しに巨石群を見るのですが、フェンスの中に入れてもらって、石にタッチしましたぞ。

これは、映画やテレビの撮影のための特別許可なんですが、一般人でも、申請して料金(そんなに高くなかった)を払えば、入ることができるのです。

このことは、案外と知られていないのですが、父ちゃんがたまたま、新聞の旅行欄の小さな記事で知って、ストーンヘンジのオフィスへ電話して、申請手続きをしました。

予約した日時に行くと、警備員がフェンスを開けてくれました。
ただし、タイムリミットは1時間。

他の観光客はフェンスの外なのに、父ちゃんとわたしだけ、フェンスの中。まるでVIPになったようで、気分はうひゃうひゃ!

ここで、沈みゆく夕日に映えるストーンヘンジのシルエットを撮影しようと、一眼レフを持って行ったのに……

お天気は、どよ〜んと曇り空。ま、人生、そううまくは、いきまへんわ。


【注】 今でもこれをやっているかどうかは、わかりません。なんせ10年以上前のことなので。


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2008年03月14日

アムステルダムの飾り窓


きのう、「まるで学校の先生みたいな雰囲気の、地味〜ぃなホステスさん」て
くだりを書いたとき、ふっと思い出したんですよ。

そう、「まるで学校の先生みたいな雰囲気の、地味〜ぃな娼婦さん」ってのを。
わたし、見たことあるんです、アムステルダムで。

ほら、あそこには、「飾り窓」で有名な赤線地区があるでしょう。女が興味半分
でそんなとこ行ったら、娼婦さんに悪いかなあとも思ったんですけど……。

でもまあ、観光スポットでもありますから、社会見学のつもりで、うちの父ちゃん
とふたり、犯罪の巣窟といわれる路地を、歩いてみたんです。

路地の窓に赤いネオン管みたいな照明がついていて、その窓に娼婦が、
ランジェリー姿で立っていたり、椅子に座っていたりするんですが。

でも、窓にカーテンが引かれていたら、「只今お仕事中」のサインです。
客が入るときにチラと中を見たけど、ドアのすぐそばにベッドがあって、
部屋はすごく狭そう。

ビックリしたのは、スタイルもよくて若くてきれいな娼婦が、結構いたこと。
で、その中に、一人、薄茶のスカートに白いブラウスという、どこからどう
見ても学校の先生みたいな女性(30歳くらいかなあ?)がいました。

どうしてあなたみたいな人がそんなとこにいるの? ん? 相談に乗ろうか?
って、思わず声をかけたくなるような、そんな女性が、きちんと膝をそろえて
椅子に座っていたのが、今でも忘れられないのです。

中には、空っぽの飾り窓もあって、そこに小さなメモが貼ってありました。
何だろうと、よく見ると、「ここを使用したい方は、こちらまでご連絡を」と、
電話番号が書いてあるじゃないですか。

へーえ、ずいぶんとオープンなんだなあ。
たとえば、旅の途中でお金がなくなったら、アムステルダムに来てこの部屋を借りて、
稼ぐ、なんてこともできるわけです。ま、そういう女性がいれば、の話だけど。

で、ここではポン引きがいないんだそうです。厳しく規制されているから。
そういう中間搾取がなくて、娼婦と客との直接交渉で商売が成立するってのは、
健全(?!)でよろしいのでは?

でも、この赤線地区、もう見ることはできなくなります。
去年の暮れに、アムステルダムの市長がこの地区を一掃して、ブティックなどの
商店街にする計画を発表しました。

「売春産業を一掃したくはないが、犯罪を減らさなければならない」という
市長のコメントなんですが、あー、そうなんだ。
売春そのものを禁止したいわけじゃ、ないのね……。



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2007年11月15日

エコノミークラスとビジネスクラス


メルマガの読者さんからのお便りに、こんなくだりがありました。

               ◇     ◇     ◇

過日、アラスカへ旅行しました折りに、バンクーバーでの乗り換えに90分しか
時間がなくて、大丈夫だろうかと客室乗務員にうかがいました。

すると、親切にも、出口に近いビジネスクラスの席に着陸30分前に案内して
いただき、最優先で降ろしてもらいました。

               ◇     ◇     ◇

なるほど! こういうこともあるんですねえ。
エコノミークラスの座席でも、状況によってはビジネスに振り替えてもらえる。

もちろん、ビジネスクラスに空席がないと無理だけど、でも満席ってことは
あまりないみたいだから、言ってみる価値は大いにアリ!

このように、そのときの状況や、客室乗務員の機転で、ビジネスクラスを
使わせてもらえることは、わりとあるみたいです。

わたしの友人は超ラッキーでした。数年前、友人二人でイギリスに遊びに来た
とき、チケットはエコノミーの格安航空券でした。

ところが、関西空港でチェックインしたとき、「ビジネスクラスでどうぞ〜♪」
なんて言われて、エコノミーの料金でビジネスクラスの座席に!!

海外旅行は初めてのオバハン二人、キャピキャピはしゃいで、機内から降りて
きました。そして、このタナボタ・ラッキーを自慢する、する。

キーッ! ぐ、ぐやじい〜! わたしなんかネ、毎年日本とイギリスを往復
してんのに、そんなこと一度もないぞっ!

そう、こういうことがある、ってのは以前から聞いてたんです。でも、どういう
乗客に振り当てるのか、そこんとこ、知りたいなあ。

彼女たち、別にブランド品を身につけていたわけでもなく、ごく普通の旅行者
の格好だったけど……?



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